入国管理局の閉鎖性その3

 入国管理局(以下入管と省略)の閉鎖性について過去に2つ文書を作りました。一番目から二番目の文書までにおよそ4年のインターバルがあります。そして今回3番目の文書を認める事にしました。二番目の文書がちょっと反響を呼んで、それに対する賛否両論があったからです。因みに一番目の文書は、読売新聞に投稿し、気流賞なる賞を頂いたものです。これに少し加筆してあります。


 二番目の文書を認めた時点で、妻は永住権を得ました。入管とのビザを通したつき合いも、これによってだいぶ遠のきました。入管の批判もそれによって、自分の中でトーンダウンしました。しかし、少し中傷気味に書いた2番目の文書を補完するため、3番目の文書を作らなければならないと思っていました。それには時間をかけたいと考えていました。自分の中で入管と離れて、どう考えが変わっていくか見てみたかったのです。

 私が国際結婚をした以上、入管との接点は一生続きます。もし妻が日本国籍を取得すれば状況は変わります。妻は日本を愛していますが、同じく自分の生まれた国スイスも愛しています。日本は二重国籍を認めませんので、日本国籍を取得すると、スイス国籍を放棄しなければなりません。それは苦渋の選択です。妻の容姿は金髪に青い目です。彼女は例え日本国籍を取得しても、日本では生涯外人扱いされるでしょう。好むと好まざるとに関わらず、常に外人として扱われ、自分が外人であることに意識させられざるを得ません。そういう環境に追い込まれながら、自国籍(スイス)を放棄せよ、という要求は非常に不条理なのです。

 しかし、日本国籍を取得しない以上、彼女は日本に居住するため入管から許可をもらい、そして日本国外に行った際は、再入国するための許可を得なければなりません。もし、何かの都合で3年以上日本をあけたら(夫の海外赴任などであり得る)、永住権も喪失します。この様に、入管との接点は逃れられ様もなく、それを家族として保護していかなければならない私の立場としても、入管とのつき合いは生涯に渡る訳です。

 この3年間に、私と同じように国際結婚をした方々とかなり交流を持つことが出来ました。その中で、入管に対する不満、憤り、また海外の日本領事館の対応に対する不満、憤りを沢山聞きました。こういう事は、国際結婚をしていない他の人々には想像もつかないことで、よくわかっていないのが実状です。そういうつき合いの中で、私の中の入管への(批判的な)視点は変わることが無く、また薄れることもありませんでした。

ある方が配偶者ビザを申請した時の入管の対応です。

窓口でのっけから、
入管職員「あんたら、偽装じゃないの?(偽装結婚の意味)」
申請者 「違います!」
入管職員「あっそ。最近多いからね」
    「デートは、週に何回、どこで何を食べたの?」「その住所は?」
    「そのデート現場を見た人の名前を挙げてみて」

 こういう窓口の対応があっていいのでしょうか。他人の事ではありますが、私は憤りを感じます。まるで犯罪者に対する扱いではありませんか。私たち国際結婚をした者は、不法労働者を助けている訳ではありません。むしろ日本の国際化に積極的に貢献しています。私たちの日常のつき合いで沢山の外国の方々の、日本に対する理解が深まっているのです。またニュースで日本の血を引く外国人が世界的に活躍しているのを見ると、うれしくなりませんか。例えば、EUの生みの親といわれるクーデンホーフ氏が、日本人の母を持つ日系人だったと聞いて、同じ日本の血が流れている者として親近感を覚えませんか。こういう人々が現れるのは、私たちのような国際結婚をする人間がいての事です。

 私は日本に感謝しています。私の親の代は、戦後の貧しさの中で必至になって、そして日本の復興を果たしました。今や日本は世界に自慢できる先進国だと思います。私は日本人ということに自信を持っています。恐らくは、ふつうの日本人よりも強く持っています。何故かというと、妻の持つ外国の文化、習慣を理解するために、自分の持っている日本文化、習慣をきちっと理解しなければならないからです。常に日本文化を意識しています。日本の良さ、悪さ、そういう事を国際結婚して以来、常に意識し、検討してきました。

 多くの日本人にとって、日本は空気みたいな存在ではないでしょうか。問題も多いが、決して居心地が悪くない。国際化といえば、周りに外国人が多くなったくらい。英語はしゃべれないし、自分の生活にはあまり関わりがない。そういう環境にあって、日本を意識することはなかなか難しいことです。自分の吸っている、見えない空気を見てみろと言っているのと同じなのですから。

 国際結婚をする人間は、日本の心を忘れるどころか、それ以上に日本の心を育てて行くのです。そして日本人としてのアイデンティティを大切にしています。日本というものを、空気の様にしか感じていなかったら、まるで違った個性を持つ外国人配偶者と生活すら出来ないのです。容姿だけにあこがれて、金髪の女性をめとったとしたら(あるいは外国人女性)、その結婚は確実に破綻します。

 二番目の文書に対して頂いたご意見は先にも述べました通り賛否両論でした。要約すると以下の通りです。
<賛同意見>
・ 同じ経験をしているので、気持ちが伝わる。
・ 入管の対応の悪さに憤慨しているので、がんばって欲しい。
<批判意見>
・ 入管を中傷しているだけで、不愉快だ。
・ 入管(に類する外国の機関)の対応の悪さは日本だけではない。
・ Webなどではなく直接入管あるいは窓口に抗議すればよい。
・ 役所はいちいち個別の対応などする所ではない。窓口の対応は正しい。
・ Webで批判しても無意味、もっと政治的に活動したらどうか。

 まず賛同意見へのコメントですが、これは私と同じ様な体験をしている人々(入管を訪れた、膨大な数の人々と置き換えられる)から賛同を頂いていると理解します。色々な話しを聞きますと、私のケース(配偶者が欧米人)である場合はまだ良いようで、これがアジア人であった場合、さらに対応が悪くなるそうです。
 どういう会話の経緯があったかは知りようもありませんが、フィリピンの日本領事館で「フィリピン人と結婚することは、まず出来ませんよ」などと言われた方もいます。この様な言い方は、例えその行政手続きが煩雑であったにしても、言うべき事ではありません。またどの様な経緯があったにせよ、その表現が不適切であった事は明白です。

 ある意味で、入管の対応は屈辱的であるといえます。不法行為を行ったわけでもなく、ただ自分の配偶者に対して法的に認められた保護(日本で安全に生活出来ること)を求めているだけなのに、どうして「不法行為を行っているが如き」対応を受けなければならないのか理解に苦しみます。以前にも書きましたが、入管窓口は、外国人の苦情を申し立てる道が限られているのをいいことに(法的に入管の決定には意義を申し立てられない)、許認可権を振りかざし、尊大になっているとしか思えません。また、その根底に官尊民卑の姿勢が見え隠れします。

 こういう経験をした方は無数におります。私だけではありません。先ほども述べましたが、もっとひどい扱いを受けた方も沢山おられます。その様な屈辱的経験は、生涯忘れることがないでしょう。冒頭に紹介した会話を思い出して下さい。何もしていないのに、しかも逮捕されているわけでもないのに、何故犯罪を行っているが如き嫌疑をかけられなければならないのでしょうか。それが個人の尊厳を認めた対応といえるでしょうか。この様に個人の尊厳を傷つけられ、人権を蹂躙される様な扱いを受けたなら、それは一生心の傷として残ります。

 私にはそれが悲しくて仕方ありません。国際結婚をした者は、以前より増して日本を意識するものだといいました。そこに自分の価値観、存在意義(アイデンティティ)を見いださなければ、国際結婚もうまく行きません。そうせざるを得ないのに、日本の行政機関は我々の身をますます狭くしています。なるべくなら日本を評価したいのに、批判せざるを得なくなる(批判なる行為は、する側も決して楽しいものではありません)。これでは国際結婚は孤立無援ではありませんか。国際結婚をした者の自業自得だといわれるかも知れません。しかし、どこの国でも、いつの世も、民族の交流があり、国際結婚は行われているのです。ヨーロッパでは、国際結婚という概念がありません。何故なら、外国人と結婚する(例えばフランス人とドイツ人の結婚など)事は当たり前の出来事だからです。日本でも、歴史をひもとけば隣国との血縁的交流があります。日本は第二次大戦後からそういう国際性に対して、頑なに閉ざされた一面があるように思えてなりません。

 確かに世界的に19世紀から20世紀にかけて、帝国主義を背景としたナショナリズムが台頭しました。しかし現代ではその反省に立ち、世界は国境の垣根を低くする方向に進んでいます。そのいい例がEUであり、汎ヨーロッパ思想です。日本の入管政策はヨーロッパの制度を見習って作られたのに、その後世界の流れを尻目に進歩することなく、停滞しております。見習った先のヨーロッパは、既に外国人配偶者に対して二重国籍を容認しています。IT化が進み世界の距離がどんどん縮まりつつある昨今、残念ながら日本の現状は先進国として見劣りするものと言わざるを得ません。

 入管(そして日本)は21世紀を見据えて、もっと開かれた存在であるべきです。また、外国人はもとより、日本人までも悲しませるような対応をしないで欲しい。入管がこれまで通り頑なに閉鎖的であれば、国際結婚をする日本人で、自分自身の存在を守るために徹底的に日本を否定するようになる人がこれからも増えるでしょう。何故なら、その人を入管が(即ち日本が)疎外するからです。疎外された人間は、疎外したものから反発して生きざるを得ません。自分の生きていこうとする必至の思いを反発にぶつけて、悲しくも祖国から離れて奮闘せざるを得ないのです。それは悲しむべき事ではないでしょうか。またそれは日本の人的資源の損失です。

 偽装結婚という問題もあるでしょう。しかし、結婚の実体を調査すれは判別がつきます。子供が出来れば片親の戸籍にその記録がなされます。外国人登録と住民票のつき合わせで、同居しているかいないかなども判断できます。また実体的結婚生活があれば、必ずや市町村の窓口と何らかの折衝があるはずです。そういった審査に時間をかけるのは致し方ないにしても、規制だけが不明瞭で厳しく、しかも対応が悪いでは社会的損失のみ大きくなるだけで、何の得るものもありません。

 私の母は日本人です。私は母の優しさを知っています。そして、日本は母国です。日本の優しい心、慈悲深い心を知っています。また、日本はそんな素晴らしい国であって欲しいのです。国際結婚をした人々は、そんな優しき日本に、例えば民間外交使節として、あるいは国際的な経済活動等を通して、多大なる貢献をもたらすでしょう。人の子がどうして母から離れることができましょうか。また、そんな別離があったとしたら、この上ない悲劇としか言いようがありません。

 次に批判に対してのコメントをしたいと思います。全ての点について反論致しますが、これは自分が完璧であるといいたいが為ではありません。批判を頂くことは有り難いことです。それを糧にまた前進が出来ます。敢えて批判をするというのも勇気が要るものです。そこまでして批判してくださった方々に感謝致します。

・ 入管を中傷しているだけで、不愉快だ。
 そう受け止められても仕方ありません。それは内容が私の感じた不愉快な思いをそのままぶつけたものになったからだと思います。私の不愉快な雰囲気が伝わったので、そう思われたと考えます。しかし、嘘偽りを書いている訳ではありません。起こった事実を書いています。また、自分の感情についても忠実です。入管の対応は、本当に私を不愉快にさせたのです。別に入管に行って自分がお客様だと思っている訳ではありません。これは礼儀をわきまえるという次元の事ではないかと思います。文書にも認めましたが、入管から行かされた近くの郵便局の対応がとても親切に思え、感謝の念すら生まれたのです。そう思わせるくらいの、不親切さ、対応の悪さが入管にあったのです。私はそれを、私のホームページへ訪れてくださる方々に伝えたいと思いました。

・ 入管(に類する外国の機関)の対応の悪さは日本だけではない。
 そうかも知れません。ひどい扱いをする外国の機関もあるでしょう。しかし、私が接した外国機関である、アメリカ、スイス、イランでは私を紳士として扱って下さいました。日本の入管の様に、何か悪いことをしている気にさせる様な扱いではありません。また対応の悪い他の機関を引き合いに出して、日本の対応の悪さを我慢しろ、とも受け止められる発想には同意できません。世界トップのサービスをしろとは言いません。しかし、私の知る限りでは、多くの機関が人間の尊厳を認め、丁寧な扱いに心掛けております。外国人の質問には忍耐強く受け答えを行います。その国の言葉に不自由であれば、英語で受け答えてくれます。日本だってそういう国に倣って、入管を訪れる外国人に感謝される位の対応が出来ていいのではないでしょうか。入管は多くの日本人には馴染みのない所です。しかし日本を訪れる外国人にとって最も多く接する政府機関なのです。日本の代表的な国際的窓口といえます。その機関の対応が、同じ日本人をしても悲しませるようなものだとしたら、とても情けないことです。

・ Webなどではなく直接入管あるいは窓口に抗議すればよい。
 これは説明を要します。私にとって入管との関わりは今回だけではありません。配偶者ビザの申請、再入国許可の申請2回、ビザの更新3回などがあります。その殆どは東京の入管で行いました。私が妻の代行をしているのは、妻の日本語が不自由なためで、妻の迅速なビザ取得が夫婦共通の願いでもあるからです。ある時は妊娠していて、妻はどうしても動けなかったという様な状況もありました。仙台の入管は永住申請のみのつき合いでした。その時妻は二番目の子供を妊娠しておりました。

 この二つの入管の対応を比較しますと、はるかに東京入管の方が優れていました。それでも東京入管ではぶっきらぼうな対応に腹を立てたり、不明確な許認可基準に抗議したり、窓口で言い争いになることもしばしばありました。ある時はその抗議の激しさで別室に通され、多少の妥協をしていただいた事もあります。これは私だけの体験ではありません。多くの入管を訪れた方々から同様の意見を聞いております。

 しかし、毎回のような抗議は疲れるのです。私は、これは大変不公平な事だと感じました。理由を列挙します。
(1)抗議できる様な闘争心を備えた人、また窓口と渡りあえる様な交渉能力を
   有する人には多少の恩恵が得られるけれど、その様な資質を持ち合わせて
   いない人には不利益のみが押しつけられる事。
(2)抗議する人間は一人であるが、対応する人間は多数となること。一人で多勢を
   相手とするのは、心理的にも負担が重く、また複数の人間と折衝することに
   より疲労し、交渉上不利になってしまう事。
(3)毎回の様に抗議を行う事に失望し、諦めを感じてしまう事。
(4)日本人ならまだしも、言葉の不自由な外国人には、日本語での抗議によって
   妥協を得るなどの行為は不可能に近い事。
 以上のような点を感じています。


 入管での抗議には初めから我々は不利な状態にあるのです。よってあの様な実状を知ってもらい、今の入管は良くないと感じて頂くことが、窓口の抗議より意義深いのではないかと思います。みんなが良くないと認識すれば、流石の入管も態度を改めるでしょう。私はその働きかけの一つを担ってみたいと思います。入管の実体について多くの方々は驚きを感じられると思います。また、信じられないことだと思うでしょう。私も当事者でなければ、信じられなかったでしょう。しかし、これは事実なのです。決して普段接する役所の対応と比較しないでください。

・ 役所はいちいち個別の対応などする所ではない。窓口の対応は正しい。
 これは、私が再入国許可の心配点について、窓口に聞いた時の対応についてのご意見です。個別の対応はその時の状況によって判断されるもので、そういう状況にない窓口では判断を示すことが出来ないというものです。


 これも一理あると思います。しかし、再入国許可を頂いているのに、何故再入国時に改めて審査し、場合によっては許可を取り消すが如き行為を留保するのでしょうか。それでは再入国許可の意味がないではないですか。


 そういう裁量権は入管にあって、その判断基準は示されておりません。極論すればその時の担当官の裁量次第です。これは法治国家の思想に反しております。例えばあらかじめ、再入国許可があっても、期限が切れていたり、犯罪の記録が発覚したり、不法な所持品があったり、その他不法行為が発覚した場合は、再入国が認められない場合がある、等の基準があって然るべきです。しかも、この許認可に関しては外国人にとって不服を申し立てる権利すらありません。大変不利な状態に貶められております。配偶者と海外旅行に行くことすら一抹の不安がよぎるのです。多くの場合、余計な心配だとわかっていても、もし妻が再入国できなかったら・・・と考えると身の毛がよだちます。

・ Webで批判しても無意味、もっと政治的に活動したらどうか。
 Webでの批判が無意味だとは思いません。多くの人に知ってもらうことの出来る、有益な手段だと認識しています。


 政治的な活動は必要だと感じております。そのご指摘は正解です。自分が政治的な活動を通して何が出来るのか、この3年間考えていました。大げさに政治的な活動といいましたが、自分達のより良い生活を築くための、市民運動みたいなものを想像しています。請願書を書いてみたり、政治家に陳情してみたり、その為には仲間作りも大切です。幸いにも国際結婚のケースは増えております。そういう方々の賛同は得られるものと思っております。また国際結婚によらず、多くの方々にも賛同してもらえたら大変有り難いと思っております。

多少の前進について
 終わりに、入管の多少の前進について触れさせてください。近年の入管の窓口対応は改善がなされている様で、東京入管を訪れて不愉快なことを感じたことはなかったという方々もいらっしゃいます。また、審査基準が緩和され配偶者ビザとしては最長の、3年のビザを短期間のうちに認可する事も多くなったと聞いております。これは歓迎すべき事です。私がちょっと見させて頂いた、福島県の郡山にある入管での対応も、ずいぶんと親切になった印象を受けました。入管のこの様な努力に敬意を表します。これからも引き続き対応改善に御注力頂きますことを願って止みません。


 その反面、審査基準が入管によってまちまちである事。通達に対して理解不十分の担当官が見受けられる事。これらの基準が公表されない事など、まだまだ納得できない点が存在しています。是非法務省のホームページで、私たちの安寧の為にも審査基準や窓口対応の指針などを公表して頂きたく、切にお願い致します。


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