出産立会体験記「シモン純の巻」(98/5)

 
 今回は2回目の出産立会になるので、多少なりとも落ち着いて立会を迎えることが出来た。しかし前回は3年半前の事で、記憶はかなり遠のいている。

 5月18日朝、6時30分頃妻から電話がある。妻には出産前から神奈川県真鶴町にいる私の母の所に行ってもらっていた。「陣痛が起き始めているので、もしかしたら今日生まれるかも知れない。用意しておいて欲しい。」とのことだった。初産は微弱陣痛の為、生まれるのに3日間も要した。そのことがあって、妻は陣痛が弱まらないように、夜中に痛みが訪れると部屋の中を歩いていたらしい。そうやって陣痛が途切れてしまうのを防いでいたのだ。大変なことだ。予定日より1週間遅れていたので、妻も神経質になっていた。

 私はその日、寝付けずに、1時頃までちびちび飲んでいた。寝たのは2時頃だったろうか。そこに6時30分の寝覚ましコールは結構効いた。妻にとっては夜中起きていたのだから、午前6時30分は朝を迎えて十分時間が経っていたろうが、私は寝たと思ったら叩き起こされたという感があった。

 なんとなく体が重かった。昨夜の疲れが抜けていない。会社に行き、なるべく外出しなければならない仕事を優先して手をつけた。体を動かしていれば、そのうちすっきりするだろうと思ったのだ。その間妻の陣痛の間隔は短くなっていた。夜中は20〜30分おきだったのに、お昼頃には10〜20分おきになっていた。妻は午後になって産婦人科に電話をして、陣痛の間隔が10分おきになっている事を告げた。産婦人科はもう入院した方がよいとの判断で、いよいよ入院ということになった。

 午後1時半頃、ちょうど私が外出しているとき会社に電話があった。伝言によれば「生まれそうだ、また電話する。」との事だった。直ぐに母の家に電話するが誰も出ない。会社には産婦人科の電話番号を持ってきていなかった。しかたなく、まんじりと再び電話が来るのを待つことにした。きっと今病院に向かっているのだろうなと思った。入院したら電話が来るに違いない。しかし気はそぞろ。仕事も上の空状態だった。ただ心の隅では、前回3日かかったので、すぐに生まれることは無いだろうと思っていた。

 午後3時前再び電話があった。もう入院したので、早く病院に来て欲しいとのことだった。早速会社を早退することにした。もう社のみんなは出産が予定日を過ぎていることを知っていたので、私をすんなり解放してくれた。

 まず自宅に帰り、着替えて、用意していた物を再確認した。準備万端。新幹線の時間を見る。次は・・・、あ、あと20分しかない!それを逃すとまた一時間以上の待ちだ。あせった。自宅から新幹線の駅(新白河)までは車で8分程度の所にある。駐車場がすんなり見つかれば、20分でも間に合わない時間ではなかった。早速荷物を車に載せ、駅へと急いだ。私が時々使う駐車場は、安いけれど昼間は結構満車状態になる。不安を胸にそこへ行く。なんと今日はがら空き。おお、超ラッキーである。車を駐車場に置き、駅に走った。荷物が重いので息が切れる。ようやくホームにたどり着くと、そこに列車が滑り込んできた。間一髪だった。午後3時57分

 新白河から東京までの間。子供が誕生したときの為のホームページ作りをした。そして東京からは東海道新幹線に乗り換える。15分の待ち合わせでこだまに乗ることが出来た。順調だ。小田原で在来線に乗り換え、そして午後6時30分ついに産婦人科のある鴨宮駅に到着した

 ところが、妻の入院した産婦人科に行くのは初めてであった。どこだかわからない。まず出口が線路を挟んで2カ所あった。私は道が2方に別れて、どっちに行った方がいいかわからない時、左を選ぶ習性がある。左利きだからか?じゃ、右利きの人間はそういうとき右を選ぶのかといわれると、わからない。とにかく左側に降りた。結果は見事にはずれ。駅前の写真屋で道を聞くと、反対側だという。私は「どうもありがとうございました。」と笑顔を作り、心で泣いた。(きょえ〜、また階段登んなきゃなんないの、荷物重いのに。)この荷物とは、デジカメ、一眼レフ、ノートパソコン、ビデオなど、撮影機材及びインターネット対応機材一式である。

 そうこうしているうちに病院に着いた。この病院、産婦人科専門のくせに結構広い。新館と旧館がある。受付にはもう誰もいない。こういうときに行くべきはナースステーションだ。早速ナースステーションを探す。院内地図を見つけ、ナースステーションは新館2階にあることが判明。早速2階に上がることにした。2階に上がる途中、なんと障害があるではないか。2階へは土足で上がってはいけないのだ。院内感染防止のため、備え付けのスリッパに履き替えなければならなかった。ここまで何度障害があったろう・・・。スリッパに履き替え、さらに階段を上り、廊下に出る。そして廊下の右奥、ついにナースステーションに到着した。思えば長い道のりだった。

 「すみません高川 バーバラというものが入院しているはずですが。」看護婦「あ、高川さんですね。いま陣痛室にいますよ。」・・えっ、陣痛室?聞いただけで痛そうな部屋だなと思った。「陣痛室ってどこですか。」看護婦「後ろです。」ホントに看護婦さんが指さした直ぐ後ろに陣痛室があった。「スリッパ履き替えて下さいね。」「えっ、またですか。」「はい、お母さんの感染防止ですから。」よく履き物を替えさせる病院だなぁと思った。

 いよいよ陣痛室に入る。するとそこに母がいた。「バーバラはどこ?」と開口一番聞く。「ああ、やっと来たか。バーバラさん、憲之がきたよ。」全く人の話を聞いていない。ま、妻のいるところを教えてくれているようなものなので、いいかと自分に納得させる。そそくさとスリッパを履き替え、妻が寝ているベットに行く。「どう、大丈夫?」陣痛に耐えている人間に大丈夫もないもんだ。「はい。」やはり力無い。「いつ入院したの?」「う〜ん、3時頃かな。」「陣痛あるの?間抜けな質問ばかりするもんだ。さっきまで5分おきくらいだった。もう子宮が3センチ開いているのよ。」妻の回答の方が的確である。そう。」といって、3センチがどういう意味をしているかわからなかった。

 そこの病院では子宮が全開し、妊婦がイキミたい気持ちになると分娩室に運ばれる。で、子宮が全開するというのは子宮が約10センチ程開いた状態だそうだ。私たちの場合(私が中心でいいのだろうか)3センチだったから、午後7時頃にはまだその3分の1ほどしか開いていないことになる。私「いつ生まれるの?阿呆な質問の極地だ。妻「まだまだよ。」(陣痛があるので呆れていられないらしい。)「そうだなぁ、前回3日もかかったからなぁ。まぁ、一日で生まれてくれたら万々歳だね。」「・・・・陣痛が周期的にやってくる。

 午後8寺頃になった。妻がいった。「そろそろ陣痛の間隔が一分おきだわ。看護婦さん呼んで。」「えっ、一分おきになったら看護婦さん呼ぶの?」「そこの電話で呼んで!」陣痛が来ているので、妻も気が短い。痛みも強くなってきているみたいだ。ラマーズ法という出産を楽にする呼吸法がある。その呼吸法によると、産道が完全に開いていない状態でイキんではいけない。無理矢理生まそうと努力しても、赤ちゃんの通る道が用意できていないので、いたずらに陣痛を強めるだけだ。その上子供にも負担がかかるそうだ。そこで、その時期には短く2回息を吸って、1回長ーく吐く、息を吐いた最後にイキミを逃がすように「ン」というそうだ。これを表現すると「ひっ、ひっ、ふぅー・・・・ん。」となる。陣痛も痛みが増すと、その「ふぅー」の時、うめき声が上がる。「ふぅ・ん・ん・ん〜〜〜〜。」となって行くのだ。妻も「ふぅー」がうめくようになっていた。

 看護婦さんと私の電話による会話。看護婦「どうしましたぁ。」私「陣痛が一分おきになったそうです。」「イキミたいですかぁ。」「はっ?」「お尻の方に力を入れたいと思うようになっていますかぁ。」この看護婦さん、私みたいな男の扱いにも馴れていると見た。「(妻に向かって)おい、イキミたいかだと。」受話器の向こうで、看護婦さんが"おい"と言われたと思ってあわてふためいていた。「ですからぁ・・・。」と聞こえる。妻「まだです。」私「まだです。」とそのまま伝える。「・・・わかりました。ではちょっと診察してみましょうね。」私「診察ですか。」というと、妻がうなずいている。私「宜しくお願いします。」冷や汗の出る会話であった。

 看護婦さんが来ると、私は追い出された。生まれいづる所をご診察なされているようだ。やはりそれは旦那にも見せてはいけない事らしい。診察が終わって看護婦さん「そうですね、4センチぐらい開いてますよ。もうちょっとがんばって下さいね。」とのたまった。「じゃぁ、グラフを取ってみましょうね。」といって、妻のお腹に何やらセンサーをつけ始めた。すると「ドク、ドク、ドク」と赤ちゃんの心音が聞こえ始めた。かなり早い。「はい、暫くそのままにしておいて下さいね。」といって看護婦さんは去っていった。私「おお、赤ちゃんの心音が聞こえるな。元気そうだね。」妻「まだ動いているのよ。」などと、会話を始める。陣痛が始まるとオシログラフの一つの針がぐーんと上昇する。お腹の緊張度を測っているらしい。この針が勢い良く上がると陣痛も強い。針の振れ具合にピタリと合わせて、妻が呻く。人ごとだが、これはなかなか面白かった。もとい、興味深かった。陣痛は1分から2分半おきに周期的にやって来た。

 30〜40分ほどして、センサーは外された。看護婦さんは「順調ですね。もうちょっとがんばってくださいね。」と言って去っていった。決まり文句だな、と思った。隣にも生まれそうな妊婦がいた。陣痛が強くなると息が荒くなってくる。またうめき声も聞こえてくる。他から聞こえてくると、なかなかなまめかしいものだ。どっちが早く生まれるだろうと思ったりした。もしかしたら、一緒に陣痛で呻いていたら、その分増幅されてお互いに出産が早まるのだろうか。そうこうしているうちに、別の部屋にいた妊婦が陣痛室を通って、分娩室に入っていった。汗ばんでいたが、結構しっかりした足取りだった。看護婦さんの「全開です。はい、ここに座って。」などという声が分娩室からこぼれてきた。時々その女性の苦痛に満ちた声が漏れてくる。「ううう、あっ、ん〜〜〜。実に戦慄を覚える。いやぁ、出産は大変だ。30分ほどしたろうか、「はい、生まれました。女の子ですよ。」という先生の声が聞こえた。そして産声が響きわたった。私たち二人は顔を見合わせて「早かったね〜。」「いいわね〜。」と言い合った。

 9時半頃、一時帰宅していた母より電話があった。母は聞く「どう。」「まだだな。4センチだと。」「いつ頃だろうねぇ。」「ま、1センチ開くのに早く見積もって1時間かかるとして、夜中か明け方だろう。この調子じゃ。」「そうみたいね。何かあったら連絡ちょうだい。」「わかった。」と言って会話が終わった。この後母は焼き肉を食べに行ったそうだ。

 妻の陣痛が強まってきた。気を紛らわそうと馬鹿話を試みる。そんなとき妻「赤ちゃん生むとき、中にはオーガズム感じる人がいるんだって。」「いっちゃうのか。」顔を赤らめて妻「そう、いいね。」「行くところ間違えて天国行ったらどうする。」「馬鹿。」イキミとイッテミるというのも字が近いなぁ、きっと紙一重なんだろ。などとくだらないことを考えてしまった。陣痛のない間は実にのどかだ。

 いよいよ陣痛が強まってきた。妻のうめき声も強まる。私が「ひ、ひ、ふぅー」とリードしても妻はもううまくフォローできない。腰や背中をさすってやる。ちなみに妻は背中をさすられるのが大好きだ(意味が違うかも知れない)。妻の背中は汗びっしょりだ。濡れているとさすりにくい。背中の方より腰の方が痛いらしい。腰を重点的にさすることにする。因みに腰がこるというのは女性一般に渡るらしい。腰のマッサージに長けた男は喜ばれる。鍛錬せねば。

 陣痛の強い時期は端で見ていても痛々しい。この状態が真夜中まで続くのだろうか。これはちょっとやそっとの苦行ではない。私が「生理痛が10年分くらいいっぺんに来たみたいだな。」というと、妻「もっと・・・。」といった。「すると20年分か?」「・・数え切れない。」見事な応酬だった。でも、ふと頭をよぎった。この陣痛の中、本当に数えようと努力したのだろうか。

 妻「看護婦さんを呼んで。イキミたくなってきた。」「なにっ、もうか。」といって私は直ぐにナースコールのボタンを押した。「・・・どうしましたかぁ。」この切迫した状況下においても、看護婦の応対は常に一定だ。まるでメトロノームの様である。私は待ちきれず、必然と早口になる。「イキミたいんですっ。」・・やばい、しまった、俺じゃない。あの、その・・・」顔が赤くなる。「ちょっと待ってて下さい。」看護婦はやっぱり馴れている。ほっとした。時計は10時20分を指していた。

 看護婦がやってくると私はまた追い出された。看護婦に追い出され、陣痛室の脇にちょこなんといる男ほど所在ないものはない。そこに同じ様な境遇の男がまた、さも待っていたかのように現れるものだ。「こんばんわ」「大変ですね。」「もうすぐですか。」「だといいですけど。」「がんばって下さい。」「ありがとうございます。そちらも。」「あ、ありがとうございます。」などと糞の役にも立たない会話を交わしてお茶を濁す。お互いに、気まずい変な連帯感が生まれた。看護婦さんの声が聞こえてくる。「全開ですね。そろそろ分娩室に行きましょうか。

 おお、超ラッキー! まだ10時台だというのにもう分娩室行きか。今回は早い! 早すぎる!! 思わずガッツポーズだ。まるで好きな野球選手が逆転サヨナラ満塁ホームランを打った時のファンの様な心境である。いや、卑近な例で言えば、ワールドカップ最終予選の対イラン戦で、日本が逆転ゴールを決めた時の、あの時の感動に似ている。これで子供の誕生日は5月18日に決定だな。よくやった。何がよくやったかよくわからないが、よくやった。と一人喜びに浸っていた。実は一番目の息子、ニコラ昇が11月30日生まれ、これは私の誕生日(7月30日)の日付である30日と一緒である。二番目が5月18日になれば、妻の誕生日(10月18日)の日付である18日と一致する。子供の誕生日が覚え易いではないか(親ばかの上に喜ぶ理由がくだらない)。ただ難点は私の母が5月16日生まれなので、誕生日の出費が重なってしまうことだ(これも実にくだらん難点だ)。

 すでに妻はもう自分ではなかなか立てない状態になっている。助けを求めてきたので、起こしてやることにした。気が焦る私は、妻の足をぐいっと引っ張ってベットの脇まで持ってきてしまった。これが痛かったらしい。表情が凍っている。やばい、と思った。しかし妻にはもう文句も言える余裕がない。今度はそうっと立たせる。この時破水があった。そして妻の肩を支え分娩室に向かった。私は出産に立ち会う予定でいたのでさも当然のように妻を連れて分娩室に入った。すると先ほど出産を終えた女性がまだベットに横たわっていた。その女性はちょっと驚いたらしい。出産直後の姿を全く他人の男性に見られるのはちょっと恥ずかしかったのだろう。無論私にはそれを観賞する精神的余裕は全くなかったけれど。「すみません、分娩室に入りました。」と私が言うと、看護婦さんに「すみません、旦那さんはもうちょっと待ってて下さいね。」と言われ、再び追い出された。

 早速母の所に電話をかける。すると出ない。何をしているんだ、一体、と思いながら伝言を残した。私も気が短い。「バーバラが分娩室に入りました。ガチャ。まさかこの時母は焼き肉を食っていたとは思いもしなかった。陣痛室に戻った私は、お呼びがかかるのをまんじりと待った。妻がいないベットには、破水の跡の赤いシミが残っていた。明るい赤い色だった。まさか看護婦に私がいないと思われては大変なので、ドアが開けばすぐわかるような所に座って、じっと待っていた。が、なかなか入室のお許しが出ない。いらいらしてもしょうがないので、赤ちゃんが生まれた際撮ったデジカメの写真が直ぐにパソコンに取り込めるようセットをしたりした。そうこうしているうちに、分娩室で休んでいた女性が回復室に運ばれていった。看護婦さんが、「じゃぁ、旦那さんもう入っていいですよ。」といった。やっぱり彼女を運び出すまで待たせていたのだ。やっとこの時が来た。

 「これ着て入って下さいね。」と渡されたものは、給食当番がはおるような、おかっぱに似た白衣だった。袖を通した後、馴れない手つきで後ろに紐を結び、ようやくスタンバイ。分娩室の前に立つ。ふん。さぁ入るぞ。・・・何してる、入っていいんだ。行け。・・・どうした、行かんかい。・・・何故かためらいを感じる。ここの病院は原則として立ち会いを認めていないらしい。今回私たちは例外だと聞かされていた。多分看護婦にもとまどいがあったに違いない。その雰囲気が私に伝わってくる。入ろうとする分娩室の扉が重い。ここは昔、男子禁制であった場所。女性の聖地、男は間抜けな顔して外で待ってなさい、という所であった。歴史的重圧を感じる。分娩室の扉は一層重くなった。

 そそそそ、と扉を開ける。誰もいない。抜き足、差し足、忍び足、中に入る。どうやらお宝は間仕切りの向こうらしい。さらに抜き足、と、ビクッ、人気を感じる。思わず背を丸めて凍りつく。おいおい、泥棒じゃないんだから、と思い直し、「はいりましたぁ。」といった。実に間抜けな登場である。「あなた、こっちよ。」と口火を切ったのは妻である。もうすっかり妻は分娩台の上で準備万端である。あとは料理を待つのみといった、まな板の鯉状態。まな板の鯉だけあって肝がすわっている。いや、溺れる者は藁をも掴むといった心境だったのだろうか。私はつられて声のする方に向かった。ガチャン。何かを引っかけた音。「気をつけて下さい。」「旦那さんはこっち。」「そこにいてくださいね。」何か映画の喜劇に出てきそうな場面を演じていた。

 「赤ちゃん、どのくらい来ているのですか。」と看護婦さんに聞くと、「もう大分降りてきてますよ、がんばってくださいね。」という。おお、ここまで来て決まり文句が出るとは、こやつベテランだな、と思った。いや、こやつは看護婦ではなかった。助産婦さんだったのだ。後ろの方で、助産婦さんが何かささやいている。「全開後30分、破膜はまだね。破膜とは出産がクライマックスに来るに従って赤ちゃんを包んでいる膜が破ける事らしい。「痛くなったら、3回深呼吸して、吸って止めて、声を出さずにイキんで下さい。」と助産婦さんがいう。息をつかず陣痛のでかいのがやって来た。妻が深呼吸をする。そして息を止めて、「・・・・」とイキむ。私はその間、妻の後ろから、イキミをサポートするように、ぐっと妻を押し上げる。妻の代わりに私がイキミの音を出す。「ん〜〜〜〜。」すると耐えきれずに妻「ぷふぁぁっ。」助産婦「はい吸って、イキんで。」私、はずみに「それっ。」妻「・・・・」私「ん〜〜〜〜。」妻「ぷふぁぁっ。」看助産婦・私「」妻「・・・・」3人のイキが合ってきた。奇妙な連帯感が辺りを包んだ。イキの合うイキミコキミだ。なぁんちゃって・・・。

 実際妻のイキミは上達したらしい、陣痛が起きる毎に深呼吸をして、イキミ、そして最後またゆっくり息をする。「イキミがうまくなりましたね。」助産婦さんがほめた。力無く妻「ありがとうございます。涙ぐましい師弟関係だ。違うか。そしてこれを数度繰り返したとき、「はい、赤ちゃんの先が見えてきましたよ。」おお、私の目頭が熱くなる。「もう少し降りてきたら、破膜してあげますね。」助産婦さんがいう。私「頭が見えて来たんだって。もう少しだ、がんばれ。」という。助産婦さんがさらに「そうですよ、もう少しですからね。がんばってください。」助産婦さんともなれば、「がんばってください」が口癖になるのもうなずける。が、妻にはそれに言葉を返す余裕がない。陣痛が収まっているときは、目を閉じて疲れを癒しているようだ。

 強い陣痛がやってくる。妻から嗚咽が漏れてくる。そういう妻の苦しむ声を聞いたのは今までに2度だけだ。一度目は長男の出産立ち会いの時、そして2度目が今。実際いたたまれない気持ちになる。やめてくれぇ、と叫びたくなる。病気で寝込むぐらいではこうはなるまい。怪我をしたって、そこまで波状に激痛はやって来ない。産みの苦しみというが、なぜこのような苦しみを自然の摂理は生き物に要求するのだろうか。確かに痛みを覚えれば、生き物は動けないだろうから、安全な出産が出来るかも知れない。しかし、人間の出産はえてして命がけだ。度が過ぎてはいないだろうか。人間という生き物の罪の重さ故の仕打ちなのだろうか。であれば、その苦しみを体験することのない男は不公平ではないか。

 女というものは、その体に収束していく地平を持っている。そこには男は到底到達できない。そこは神秘に満ちた世界であり、一つの門をくぐり抜けた先に待つ楽園のようである。その門が開く出産の時、女は自分の地平に入っていく。外側に残された女の体は魂を奪われ痙攣する。女が自分の中の地平に達し、光に包まれたとき、命が生まれるのだ。新しい白く輝く命。女はその命を見、聞き、感じ、悦ぶ。じかに命と触れ合うことは、女にしかできない業。出産に望む女の体はゆえに輝いている。

 「髪の毛がもう見えますよ。」「頭が見えてきましたよ。」そういう言葉を助産婦さんから聞くと、それだけで目頭が熱くなる。「もう少しだ。」「がんばれ。」「頭が見えたぞ(実際私には見えていない)。」と妻にいう。無論、妻には見ることは出来ない。陣痛のさなか、子供が自分のどこら辺にいるかなど検討もつかないだろう。助産婦さんも必死だ。お母さんを助けようと、イキむ際なるべく赤ちゃんを引っぱり出そうとする。この時期は赤ちゃんにとってもつらい時期であるようだ。仮死状態になって、じっと動かず我慢するらしい。

 「頭が出てきましたよ。」私はぐっと乗り出した。頭が出てきた。誕生の瞬間だ。もう涙目である。頭の先まで感動している。やった、待ちに待った瞬間だ。苦労が報われた。生まれた、生まれた、生まれたぞ。やった、やった、やった、やっほ〜、やっほ〜、である。この瞬間、私はの存在を忘れた。躍り上がる。有頂天に達した。

 そして頭が回転し、赤ちゃんの顔が見えた。スーッの気が引いた。私の体中のが足下にざわざわざわっと集まった。見えたのは青黒いエイリアンである。いや、シュワちゃんの映画に出た火星ミュータントのリーダー"クワトー"だ。ぼこっと、顔だけ出ていて、あまり動かない。仮死状態だから当たり前だけど、時々口元が痙攣しているよう。口からは血がぼごっ、ぼごっ、それを助産婦さんが引っぱり出している。グロイうわぁ。腰が抜ける。やめて。言葉が出ない。よろよろっとした。・・・天地がひっくり返るほど驚いた。今度は我を忘れた。

 うめき声がして、再びに気付く。我に返った。妻はまだ陣痛のさなかである。赤ちゃんの方は、頭の次は肩だ。ここでは強くイキむとかえって悪いらしい。短息呼吸で、「ハ、ハ、ハ、ハ」とイキミを逃してやる。助産婦さんが、「はいやって、ハ、ハ、ハ、ハ」と促す。でも妻には聞こえないらしい。そこで私が近くでやってみせる。「ハ、ハ、ハ、ハ」すると、それに妻が応えようとする。私を見て懸命に「ハ、ハ、ハ、ハ」とやるではないか。そんな懸命な表情を普段見たことがない。いじらしくて目頭がまた熱くなった。さっきは一時引いてしまったが、感動がまた盛り上がる。大丈夫だ、一度見たからもう抗体は出来ている。第一、生まれるときから浴衣を着せられている綺麗な赤ちゃんなんているものか。そうだそうだ。そう自分に言い聞かせた。

 ついに肩が抜けた。肩が抜ければ、もう体は出たようなものだ。この時点で産科の先生が現れ出た。遅いぞ、こいつ。助産婦さん「先生、生まれちゃいましたよ。」、先生「おう、それはよかった。10時56分だね。」私はムッとして無言でいる。なんだこいつ。全部終わってから来て、一番いいとこさらいやがって。実は彼が院長だった。後に産科医は毎晩夜中に叩き起こされる、過酷な重労働者だと聞いて許す気になった。

 院長は生まれ出たばかりの赤ちゃんを抱いて、「男の子ですね。おめでとうございます。」といった。まだすねている私は内心、「しっとるわい、前から。名前ももう考えてあるんじゃ。」とつぶやく。「はいお母さん、赤ちゃんの足を触ってみて、まだ赤ちゃんとお母さんはつながっているんですよ。」と院長がいうと、妻は赤ちゃんの足に触り、優しくうなずいた。おお、こしゃくな演出をするやつじゃ。たじたじっとした。しかし、私も安心した。長男の時は3日間かかり、最後は陣痛促進剤を打っての誕生だったからだ。今回は入院して半日である。子供も五体満足で丈夫そうだ。妻よ、よくやった。よくやったね。ご苦労様。」と妻にいった。抱きしめてやった。

 ここまでは病院側のセレモニーであった。次から院長と助産婦の行動は早かった。まずへその緒を切る。そして口に入っている羊水を管で全部吐き出させる。赤ちゃんは盛大に産声を上げた。見ていると、迅速というと聞こえがいいが、赤ちゃんにしてみれば、管を口に差し込まれ、ぐいぐいやられては迷惑千万ではなかろうか。私は傍観しているだけだった。この時点のお父さんはでくの坊である。こしゃくな院長「はい、お父さんは産湯の所に赤ちゃんと行って下さい。そのとき、産声の録音しますから、メッセージ入れてもいいですよ。」という。私「あ、はい。」すごすごと従う。

 赤ちゃんは産湯を浸かっているときも、盛大に産声を上げていた。元気そうな子だ。よく見ると大きな赤ちゃんである。体重を量ると3734グラムもあった。長男が3412グラムであったから、それよりも大きい。きっと元気良く育つに違いない。いや元気良く育て上げなければならないのだ。夫婦の戦いはこれから始まる。そうこうしているうちに私の母が駆けつけた。焼き肉のお土産を持っていた。誰にだ、一体。

 後日妻から聞いたのだが、妊婦は生まれたのち数日、子宮収縮のため痛むらしい。女にとって出産とは前後に痛み多いものなのだ。つくづく大変な仕事だ。妻にはまず暫く養生してもらおう。子育ての戦いはこれからであり、そして長丁場なのだから。夫は赤ちゃんの産声録音のあと、こうメッセージを添えた。「5月18日午後10時56分、高川 シモン純は生まれました。体重は3734グラムでした。今回はとっても出産時間が短くて、お父さんは安心しました。よかったです。ありがとう。

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