ウィーンの昼下がりの出来事−ピティ・ジョー−(1995年8月)
 高川 憲之

 シュタッドパーク(市立公園)を歩いていると、老人が話しかけてきた。人の良さそうな眼鏡を掛けたやや背の低い白髪の老人だった。しかし彼は旅行が好きで、すこぶる健康そうだった。彼はベルギーから来たといった。そして明日はアムステルダムに行くといった。私も今晩チューリッヒに最近話題のシティ・ナイト・ラインで出発すると話した。彼はとにかく親切で世話やきな老人のようだった。私はすっかり安心してしまい、一人旅のせいか、彼との会話を楽しんだ。

 公園内でシューベルトの像を見た後、私たちは公園を出て古い建物の並ぶ閑静な通りを暫く散歩した。そして奥まったところにあるホテルに着いた。後でわかったことだがそのホテルはビーターマイヤーだった。通りのような中庭に机を並べたちょっとしたカフェテラスがあった。バイオリンの生演奏が流れるとても上品な雰囲気のカフェテラスだった。八月も終わりにさしかかった頃で、さほど熱くはないにしても日中は半袖のシャツで汗ばむほどの陽気だった。

 彼は熱いからといって室内の席を望んだ。私は外の方がいいと思ったので、テラスに出ませんかと聞いたが、彼は熱くなるので室内がいいと言い張った。席に着くとまず彼は私のためにわざわざコーヒーを頼みにいってくれた。普通はウェイターが来るまで待つのだが、ずいぶん親切な人だなと思った。コーヒーがくると彼は、誰かがカードを忘れたと席の後ろから小さなトランプを取り上げ、私に見せた。ドイツのカードだった。お土産になると彼は喜んだ。

 すると彼はベルギーのゲームを教えると言い出した。それは3枚の持ち札を持って、次に引くカードが自分の持ち札の同じ種類のものより低ければ、勝ちという簡単なものだった。しかし一枚目のカードで勝てない場合2枚目を引かなければならず、そのときには最初の掛け金の2倍を出さなければならない。3枚目では3倍の金額となる。私は彼にこのゲームの名前を聞いた。すると"ピティ・ジョー"というゲームだといった。英語の名前だった。恐らくそれは彼の好きなゲームだろうと思った。それにしても悲しすぎる名前だ。最初は1シリングずつ掛けていた。私にとっては午後の一時を過ごす贅沢な時間を楽しむ様なつもりで彼とつきあっていた。

 彼はカードに熱中し始めた。なぜなら気付くと私が50シュリング近く勝っていたからだ。するとだんだん掛け金が多くなり始めた。遂に掛け金が100シュリングになった。この時、私はこれがまだいかさまのギャンブルであると気付いていなかった。彼は私の掛け金をすぐに彼の市内案内のパンフレットにしまい込んだ。おかしいな、とその時ふと感じたが、まだ私は彼を無条件で信じていた。彼は本当に人の良さそうな話し好きの老人だったからだ。

 ところが、私のカードが良くなく、200シュリングを払わなければならない事になった。そして3枚目、300シュリングとなった。この時ようやく私のしているギャンブルに気付いた。私はまんまと彼のいかさまにはめられたのだった。私はこれをキャンセルしたいといった。ところが彼はキャンセルなんて考えられないと、何度も私にいった。次のカードで全てを取り戻せるじゃないかと私に説得した。私は彼の気迫に負け、そして次のカードを引いた。勝負は、当然私の負け。そして私の500シュリングが彼のものとなった。

 それはまるで三文映画を見ているような物語だった。私は彼のシナリオにまんまとはめられ、ピティー・ジョーの相棒となったのだ。もちろん悲しむ役は私だった。しかしこの500シュリングの物語は、私に忘れがたい思い出を残してくれた。それは素晴らしいウィーンのまるでザッハートルテの様な甘さに、ちょっと苦いエスプレッソコーヒーを添えてくれた様にだった。

 信じがたいような経験だったが、500シュリングですんだのはラッキーだったかも知れない。財布の中にはその時700シュリングしか入っていなかったのだ。現金を沢山持ち歩く日本人にとって、この手の三文映画にはくれぐれも巻き込まれないように願って止まない。この三文映画はどの街でも繰り広げられていると後でスイス人から聞いた。

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