コンピューターソフト開発事業に関する本を読んでの感想と私の展望
(1994年10月) 高川 憲之

頂いた本と私の展望

 先日は大変お世話になりました。頂いた本はおじゃました数日後から読み始めました。この本はコンピューターソフト開発事業に関わる事柄をメインに、広い範囲に及ぶ技術的展望を俯瞰する大変興味深いものでした。この本は88年頃すなわち約6年前に記述されています。それだけにコンピューター分野の内容には過去となってしまった記述も見受けられますが、それが予測としての観点から見ますと、非常に高い確度を持って近将来の動向を洞察していたことが理解できます。この様な洞察が本の随所にあることは驚くべき事で、かつ尊敬に匹敵するものと思います。

 この本に刺激されましたので、私なりの展望をここで書き留めてみたいと思います。私は自身が思索的あるいは政治経済的な分野にも興味を示すなど、技術屋としては異質な性格を有しているのではないかと考えています。もともと生物に興味があり、海洋生物および生物の免疫機構を専攻した経緯からも、工学系統の専門家とは異質であることは明確です。果たして技術屋の末席にあがらせてもらっていいものかどうかも疑わしい限りです。生物学はご存じの通り科学と名乗りながらも無秩序と無体系の集大成の様な学問です。かろうじて科学的研究手法に適応して科学の一端に引っかかっているのです。科学は西洋哲学より分化し学問的大体系を構築したわけですが、生物学はその科学と哲学の界面を浮遊するような存在ではないかと思います。そのような学問にとりつかれる人物も少なからず哲学的といえるでしょう。私の学問的素地には生物学特有の経験とカンによる職人的気質があったにしても、実験と分析の集積による技術屋的気質はないように思えます。

 私の展望は将来的に変化する潮流を私なりの尺度で捉えようとするものですが、いかんせん思索的すぎてビジネス面での私の方向性を示唆するものでなければ、短期的にいかなる生産性の向上に寄与するものでもありません。もう少し私の興味の範囲が実用的であれば、今の技術職の自分に大きなメリットであると思います。が、無い物ねだりというわけです。

パソコンのブラックボックス化

 パソコンほど空気を売っている装置もないものだと思います。大抵躯体を開けると内部の大部分が空間です。底面に申し訳程度一枚のボードが貼り付けてあり、はじっこにFDDやHDDのユニットがまとめて置かれています。これらの装置はユニット単体で接続されていますが、ユニット自体は触れるべからずでこれ以上の分解は厳禁となります。ここまで分解できればいい方で大抵の人間はパソコンのフタさえ開けることはありません。十数年前までは、パソコンも個人で製作できる規模にありました。プロセッシング・ユニットが8ビットであった時代です。現にパソコン好きの私の友人で、夏休みをかけてそれを製作した者もいます。

 しかし現在はこの様な試みを個人で行うようなことはなくなりました。あまりに高度に発達したパソコンは、個人が製作できるような次元をとうに越えているのです。製作のみを議論するのであれば、個人のみならず手作業の製作事態が不可能なのです。この様に技術が集約されブラックボックスが何重にも交錯し体系化されたパソコンは、ハードとしてユーザーに何の価値も生まないという事態を生み出したのです。ユーザーはこのブラックボックスの塊を、あらかじめ提供されたソフトウェアの環境下のみでしか活用できなくなっています。ユーザーはパソコンのハードとしての機能をパソコンのカバーの外側に拡張させることが不可能となり、提供されるソフトの奴隷と化しているのです。パソコンの箱の中身はほとんどが空気ですが、そのハード的価値さえもユーザーにとって空気にも等しいものとなっているのです。いかなる高機能なハードが出現しても、それ自体ではユーザーにとって空気です。粗大ゴミともいえます。パソコンはハード自身の価値観を低め、自己の発展の可能性を限定的にさせているのではないでしょうか。もう少し柔軟な拡張性があれば、ハード自身の価値として膨大な市場が存在しているように思われます。

石油の大量消費時代

 現代社会が石油を大量消費することによって成り立っていることは、目新しい指摘ではありません。人類の文明は形こそ変えながら、何かしらの大量消費によって支えられています。

 原始の時代に農耕・畜産による食料の大量消費が可能となり、文明の礎が完成されます。そして限定的地域の共同体が外部へと拡張されて行きます。余剰作物による余剰人員は兵士として整備され、外部へ侵略を開始します。外部の対象は周辺の共同体でありました。ここに戦闘が開始されます。戦闘は適度な人工調節機能と経済機能を果たしておりました。また、より広域的な単一共同体を形成することにより、余剰人員がさらに増加し、それらが兵士及び奴隷として整備されます。ここに人力の大量消費時代に入ります。蒸気機関の発明による産業革命は、新たなる大量消費時代をもたらしました。石炭が新たに大量消費され、内燃機関の発展によって現代においては石油の大量消費時代をもたらしております。

 人類の文明に固有である物質的大量消費の特性は止まることを知らないでしょう。文明の規模は世界的に拡張され、情報は数秒のうちに世界に飛び回ります。それに伴い新しい消費媒体が見出され次世代の大量消費時代が訪れるのです。

知識すなわち情報の大量消費時代

 人類文明の特性は他の視点によれば、文明空間の拡張性にあります。生物学的欲求をはるかに超越する空間まで、すなわち地球の裏側、深海、宇宙などにあくことなく進出を試みます。あるいは生物学的知覚をはるかに超越する能力を、すなわち光速、量子測定、超伝導などの制御能力を求めます。

 人類の文明空間はもはや、人間自身の知覚能力や運動能力をはるかに越えた次元にまで達しています。その超越的文明空間と人間の接点こそが知識の集積とその操作であり、言い換えれば情報処理です。この無形有価物は文明空間の拡張とともに発展し体系化されて来ました。情報処理は物理制御における二次的副産物であったものです。現代ではそれが副産物的存在から、新たなる大量消費の対象となりました。人類は文明空間の拡張と共に情報を大量消費する必要にかられたのです。それはエネルギーの大量消費とは別次元に位置付けされます。石油大量消費時代は今後も暫く継続されるでしょう。またこれは質的な変容を遂げてさらにエスカレートすることとなります。それに加え、人間の内面に価値体系を持っていた情報が、情報処理機器の発展と共に、人間の外側に取り出され大量に消費される時代が到来したのです。

 これからの時代は、情報処理機器及びその制御機器を使いこなせることを前提条件として、その大量の情報を取捨選択し分析して、一つの方向性を指摘できる人間がリーダーシップを取ることになるでしょう。例えばビジネスの分野でいえば、グローバル化した巨大企業間の競争が全世界的規模で行われ、世界のGNPのかなりの部分をそれらが占めることになれば(なりつつある)、求められる人材は世界市場に通用するインフォメーション・アナリストたる資格のある人物であることが最低条件になるでしょう。実質的に彼らがリーダーシップを取り、富を独占し、新しい階級を形成します。一国家の政府は地方住民の利益を代表する行政組織に徐々に転落するでしょう。インフォメーション・アナリストはそれに絶大なる圧力を加えることになります。

半導体から遺伝子へ

 現代の情報処理は半導体技術をベースにしていますが、近年にこれは成熟期を迎えると思います。テクノロジーがナノベースとなり集積技術が物理的限界点に達するからです。技術革新のペースは緩やかとなり、巨大プロジェクトによる開発のケースが増大します。従って一部の企業のみがこの分野で開発の旗手となれるのです。新素材の開発がブレークスルーのキーとなるでしょうが、どちらにしてもそのころには情報処理機器の市場は開拓され、限られた企業が市場の大部分を占有する事となっているでしょう。

 情報の大量消費はこのころには半導体技術ベースから遺伝子操作技術ベースに移行するでしょう。遺伝子操作技術は多くの産業分野に渡り膨大な利益をもたらします。遺伝子操作に対する倫理観は操作技術の発展に平行して寛大になるはずです。そして遺伝子情報の大量消費時代が訪れるのです。この技術はコンピューターが人工知能を目指すように、究極的に新しい人間を創造することになるでしょう。

ユーザー技術の普及

 さて情報処理技術は今後も進歩し高度化します。ところが多くの受益者にとってこの高度化の速度はあまりに速すぎるのです。コンピューターのハードはもとより、OSの基本的オペレーションもブラック・ボックス化します。アプリケーション・ソフトウエアのメンテナンスさえ開発会社しか行えない状態になります。

 これからのユーザーは個々のソフトウエアの特性を把握し、与えられた機能の範囲内でいかに効率的に情報操作するかに関心が移ります。実際にソフトウエア開発に携わらない多くのインフォメーション・アナリスト達にとって、アプリケーション・ソフトの機能範囲内で十分に必要な情報操作が可能なのです。ここにユーザー技術が登場します。コンピューターの歴史が浅いこともあって、今までソフトウエアは開発側からの論議が繰り返されてきました。ユーザーもこれらの反乱する情報に混乱され、コンピューターを所有することであたかも自分が開発者の一人となったような錯覚に陥ったのです。しかしこれらの論議は実際の受益者即ちユーザーにとっては本質的に必要のないものです。高度化し複雑化するコンピューターに対面するユーザーは、コンピューターというブラックボックスをマスターするという目的に今後多くの時間を投入しようとはしないでしょう。ユーザーにとってコンピューターは必要な情報操作が可能であればいいのです。現行のアプリケーションと将来の拡張性を考慮に入れ、どの様なアプリケーションのどの様な機能を使用し、目的とする情報操作をいかに迅速に効率よく行うかという、ユーザー側の技術が今後注目され、大きな市場となるでしょう。それに伴いアプリケーションもユーザーインターフェイスが重要となり、ユーザーインターフェイスの悪いものは淘汰されて行きます。OS自身もユーザーインターフェイスを強く意識したマルチベンダーネットワーク対応型となり、ビジネスがそうであるように、システム構成も人(アクセス)、もの(メディア)、プロジェクト(関連づけられた情報)などの構成要素に再配置されてくるでしょう。

民族主義の抵抗について

 ところで企業のグローバル化に抵抗するかのように民族主義の台頭が世界的規模で行われています。通常政治経済的に苦境に立つ国家は、その理由を外部に求めます。例えば、ドイツの場合は出稼ぎトルコ人がスケープ・ゴートにされました。北朝鮮の場合はアメリカです。また混迷を続けるユーゴスラビアは基本的にキリスト教徒とイスラム教徒との歴史的闘争を根底にしています。民族主義は常に国内の不満のはけ口として利用されるのです。そして歴史的にみれば、民族浄化政策による大量虐殺は常に繰り返されていたものです。民族主義が極度に高揚した場合は戦争勃発に発展しました。近年はそれでも、その規模が縮小化してきました。ルワンダなどの例がありますが、メディアが整備された今日では、大量虐殺が大変起きにくくなったのです。なぜなら大量虐殺を国家が行うには、それを指揮する政治家や軍人が必要ですし、そのような立場にある人物が(メディアを通じて)全世界を敵に回す様な虐殺行為を決断することは不可能に近いからです。民族主義は主に国家の経済的安定が保たれた場合沈静化します。しかしいつの世にも栄華衰勢はあるものですから、世界のどこかで民族主義が高まることは今後もあり得るでしょう。

グローバル企業と国家の没落

 国家は領土を保有し、国民によって構成されます。統治形態に差はありますが、基本的に国家は領土なくして存在せず、地理基盤の上に存在します。国民はその地理基盤の上に産業を興し、富を生産します。従って国家は共同体であり、その構成員は民族的連帯感を共有します。この様な国家においては、前述したような民族主義の台頭が、栄華衰勢の波にのって周期的に起こります。

 グローバル企業にとって、地理基盤たる国家に重要性はありません。むしろ、インフラストラクチャーや貿易体制、労働者の教育程度や賃金体系に興味があります。グローバル企業にとってはその国家内での生産性と価格競争力、市場占有力が重要課題であり、もしそれが採算性に適合しない場合は、当該国家に圧力をかけるか、撤退するかなどの戦略を選択することになります。グローバル企業の戦略は国家に関係なく国際企業間の競争戦略の上に立案されます。それは地理基盤による国家戦略とは別体系であり矛盾を内包します。言い換えれば、グローバル企業の発展は従来からの地理基盤による国家を弱体化させるのです。国家の発言力は弱体化し、国民の利益を保証する必要最小限度の行政機関が存在するのみとなるでしょう。究極的な小さな政府が登場するのです。

 反面、国家にとってもグローバル企業の誘致が必要となります。国際競争力のあるグローバル企業を誘致することが即ち自国の雇用を創出し、GNPを引き上げることになるからです。グローバル企業の国家に対する発言力は絶大なものになるでしょう。国民の帰属意識も国家的共同体の一員という従来の認識が薄れます。むしろグローバル企業の競合する環境下でリーダーシップを取る階層と、そうでない階層とが存在するようになり、前者は国家の地理基盤に興味を示すことはなくなるでしょう。後者は地理基盤にしがみつかざるを得ず、国家に圧力をかける別の団体を形成します。両者の2極化が今後顕著になるでしょう。そして国家はもはや調整機関となるだけで民族的連帯感を醸成する役割を果たせなくなるのです。

将来について

 我々の時代は人類の大きな変革期にあるのではないかと思います。技術的にも人間の能力を大きく超える様々な装置が開発され、神の領域である遺伝子操作にまで踏み込む様になりました。人間を変えるのは神であるか、あるいは人間自身であるかとうい問いを現代は深刻に投げかけています。あるいは政治・経済制度がメディアの全世界的発展と共に相当なスピードで変容しています。今までの歴史的文化的なパラダイムが大きく覆され、今後相当な期間に渡り、国際社会が混乱するであろうことが予測されます。果たしてこれは幸福であるか、不幸であるか。その問いは個々人が決めることですが、私はこの大きな変革期を自分の目で見られることを幸福に思います。出来ればその変革の波の上に乗り、行き着く先を展望してみたいと思います。私の信条は "一切空" です。私は何事にも捕らわれることなく与えられた機会に感謝し、精一杯挑戦と努力を重ねて生きて行きたいと思っています。私は仏教的信条を持ちながらもカトリック教徒でありますので、臨終の時には神に対し、私の犯した過ちについて赦しを乞うつもりでいます。因みに私の神様はとても寛大で、遺伝子操作などは小さな事だとおっしゃっております。

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